対自核

はかり屋☆の息子

2006年01月05日 00:22

邦楽のタイトルも横文字だらけの昨今ですが、
かつては洋楽にも「邦題」がつくのが普通で、
あのクラプトンの(デュアン・オールマンの)「レイラ」だって、
「愛しのレイラ」でした。

もちろん例外はあって、
真っ先に思い浮かぶのはディープ・パープルですが、
彼らもアルバムには
「紫のなんちゃら」みたいな邦題がつくのが普通でした。

70年代当時の洋楽の邦題で
最も秀逸だったのは何といっても
ユーライア・ヒープでしょう。
「Look At Yourself」が「対自核(たいじかく)」、
「Easy Livin’」が「安息(あんそく)の日々」、
「Tears In My Eyes」が「瞳に光る涙」で、
「July Morning」が「七月の朝」(こりゃ当たり前か)。
こういうのって日本のレコード会社の担当者のこだわりだったんでしょうね?

←ちなみに1971年発表の「対自核」は、
ジャケットに鏡(本物はさすがに無理だったのか厚紙に銀紙みたいなものが貼ってあった=写真の真ん中の部分)が挟まれていて、
本当に「Look At Yourself」ができるという不思議なモノでした。

ユーライア・ヒープは、
ディープ・パープルと同じ、
vo、g、b、key、drの構成の5人組で(Keyがgも弾くのがちょっと違う)、
分厚いハードロックサウンドにファルセットボイスのコーラス、
ワウワウを多用したギターが特徴でした。
ツェッペリン、パープルと並び「ハードロック御三家」に称されましたが、
御三家では「野口五郎」(1つ前だと「西郷輝彦」)的な位置で、
「一番芸達者だけど地味」なポジションにいたと思います。

個人的には1972年の2枚組ライブ・アルバム
「THE MAGICIAN’S BIRTHDAY」
(邦題は「魔の饗宴」!!)のアンコールで演奏される
ロックン・ロールのオールディーズメドレー“ハードロック版”がお気に入りでした。

ルックス的にはビジュアル系に遠い位置にいたけれど、
「感電死」してしまった初代ベース奏者のゲーリー・セインは
妖艶なイケメンだったと思います。
当時、フィルムコンサート
(昔はビデオクリップやらアーチストの映像が見られる機会がほとんどなく、
ホールを借り切ってプロモーション・フィルムを上映するような催しが、
レコード店や放送局の主催で地方都市で行われていました)
で見たステージでは、ゲーリー・セインの右手が
クラシックのギタリストのようにバラバラともの凄く速く動いていて、
「スゲエ」と思ったのが印象に残っています。
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