ロックは反体制か

はかり屋☆の息子

2006年01月19日 00:28



仕事と飲み会の約束が怒涛のように立て込んで1週間。
未だに続いています。
ブログってやはり精神的に余裕がないと書けないです。


この間、たくさんのコメントありがとうございます。
今週末あたりには何とか不義理を解消したいな、と思っていますm(_ _;)m

実は今回も不義理ネタ。
年賀状代わりに案内状をいただいた知人の詩画展に行ってきました。
ぜひ、多くの方々に紹介したい内容だったのですが、
18日で終わってしまっています。ああ。

展示会のタイトルは「9条のロックンロール」。
会場にはドアーズが流れていたりして…

タイトルの「ロックンロール」は「反体制」「反権力」の象徴として付けた、とのこと。
そうだよなあ、ロックって反体制の象徴だったんだ、
って妙に懐かしい思いが、奇妙な焦燥感とともに胸にストンと落ちました。

私は、ロックが必ずしも「プロテスト」の音楽だとは思っていませんが、
やはり「体制」や「権力」「権威」とは対峙しないまでも、
無縁、というか否定するところで成り立っている、
それによって「自由」という掛け替えのない価値を獲得している、
少なくともそういうことを志向している、
のが大きな魅力だと思っています。

だから、「ロック」と呼ばれているものが、
商売や権力や権威や体制と仲良く手をつないでることには大きな違和感を持つし、
今回のように「反体制の象徴としてのロックンロール」とストレートに言われると、
ドキっとしてしまいます。

だって、そうじゃないすか?
いかな、民主的手続きで選出されたとはいえ、
時の宰相に「最高だ」と言わしめたり、
政府主催の催しに呼ばれたりするような、
まして、そこへのこのこと出て行くような
茨城県出身のお兄ちゃんや、函館出身のお兄ちゃんたちは、
そりゃ編成はロックバンドそのものだったとしても、
「ロック」とは呼ばないよなあ、って思うのですが。

別にXジャパンもグレイも消費する音楽としては嫌いじゃないですけれど。
酔うとカラオケで歌うこともあるし。

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