
ロンドンの南東、首都郊外の街・ダートフォードの駅。
1961年10月17日。
珍しく早起きしたこの朝、
いつもより1時間ほど早く、
俺はロンドンのアートスクールに通うため
駅の階段をゆっくりとホームへ降りていった。
緩やかにカーブした駅のプラットホーム。
ちょうどそのカーブの辺りに
幼馴染の男が1人、ロンドンに向かう電車を待って立っていた。
ロンドン経済大学に通っていたこの幼馴染が
左手にチャック・ベリーのアルバムを抱えているのを
俺は見逃しはしなかったね。
そして声をかけてやった。
「久しぶり、ミックだよな。なんだい、お前、チャック・ベリーなんて聴くのかい」
乗り込んだ電車の中。ロンドンまでの40分余り、
俺とミックは、R&Rを、そしてR&Bを、
互いにどれだけ愛しているか熱く語り合った。
ロンドンのクラブで演ることを目標に、
ミックと俺がバンドを組むようになったのは、
この日の再会を考えれば必然だった。
既にロンドンに出て、いっぱしのプロのミュージシャンを気取っていたブライアンに、
俺はギターを、ミックはハーモニカを習った。
バンド名「ザ・ローリング・ストーンズ」もブライアンが命名した。
俺達は運良く、「マーキー」をはじめとするクラブへの出演が叶い、、
ブライアンの家に居候したり、友人の家を転々と泊まり歩きながら
ロンドンで音楽と酒とドラッグの日々を送った。
そんな根無し草の無頼な生活の中でも、
朝が来るとミックは几帳面にも大学へと通ってたっけな。
なにせロンドン経済大学と言えば、
日本で喩えるなら一橋大経済学部ってなもんだぜ。
流石に後年、ナイトの称号をもらうヤツは違うぜ。
でも、俺はそんなミックとの友情を固く守った。
何しろ俺は義理人情に厚い男だからな。
間もなく俺達にレコードデビューの話が舞い込み、
レコード会社のお偉方が、
「あのヘンな顔と声のボーカリストを辞めさせればいつでもデビューさせてやる」
ってほざいたときも、俺は首を縦に振らなかったさ。
それどころかお偉方をちょろまかして、
ミックをメンバーに加えたままレコーディングしてやった。
デビュー曲は俺が敬愛するロックンローラー、
チャック・ベリーの「カム・オン」さ。
カバーバンドとして出発した俺達だったが、
ビートルズの成功を横目で見たマネージャーが
「金を掴むにはオリジナルだ」とぬかして、
俺とミックに曲をつくるようにせかした。
俺にはお安い御用だったさ。
演奏ならブライアンの方が上手いかもしれないが、
彼は、作曲はさっぱりだった。
天は二物を与えずってやつかな。
ミックの詞に俺が曲を付けてヒットも出せるようになった。
そのせいか、バンドの中の力関係が微妙に狂ってきたんだ。
可哀想なのはブライアンだったよ。
自分が作って、リーダーシップをとっていたバンドが
徐々に俺とミックのバンドになっていったんだからな。
面白くなかっただろうよ。
ヤツが麻薬に溺れるようになった気持もよく分かるぜ。
でも一度狂った歯車は元には戻れない。
俺達は転がり続けるしかなかった。
そんな隙間風にさらされていたころさ、
ブライアンの悲報を聞いたのは。
でも、皮肉なもんだな。
俺達のバンドが、俺が大好きなR&Rだけじゃなく、
ブライアンが演りたがっていたブルースにもしっかりとルーツを置いたバンドとして
音を確立し始めたころにヤツは逝っちまったんだから。
遠い昔の話だけど、昨日のことのようにも思えるな。
あれから50年近く、俺は今日も冴えたギターを弾いてるぜ。
世界一のR&Rバンドのギタリストとしてな。
もうとっくに分かってるだろう。俺の名前さ。
Keith Richardsっていうんだ。
人生、山あり、谷ありさ。
だけど、みんな、今日もハッピーだろ?